ネストリウス派とシリア語②
ところで、そもそもシリア語とは何なのだろう?とりあえず、ここではネストリウス派に関係するシリア語とは何か考えたい。
シリア語を専門の一つとされる東京大学の高橋英海教授によると、文語としてのシリア語の歴史は、紀元後まもなくエデッサ(現在のトルコ南東部のウルファ)で はじまったという。このシリア語は、エデッサを首都とするオスロエネ王国(紀元前132-後244)一帯でもちいられていたアラム語の方言であり、「古シリア語」と認められることのできる言語は紀元1世紀に刻まれた碑文にあらわれる。その後、早い時期に、この地にキリスト教が伝わり、聖書がシリア語に翻訳されたことなどから、シリア語はメソポタミア地方一帯におけるキリスト教徒の共通の言語となり、キリスト教の初期の発展において、シリア語は、ギリシア語とラテン語とならぶ重要な役割を果たしたらしい。また、7世紀にイスラームが興る以前、シリア語は、ローマ帝国とペルシア帝国のあいだの国境をまたいで、国境の両側で用いられる共通言語でもあったという。5世紀以降、ローマ帝国内のシリア語話者たちの多くが、のちにシリア正教会と言われる教会を形成するに至ったのに対し、ペルシア領内のキリスト教徒はいわゆるネストリウス派の教義を受け入れて、ローマ帝国内の教会からは独立した教会(いわゆるネストリウス派、あるいは東シリア教会)を形成したとのこと。
(以上、高橋英海著「ユーラシアの知の伝達におけるシリア語の役割」『知の継承と展開』明治書院、H26年参照)
以上、
①文語としてのシリア語は、アラム語の方言としてエデッサで はじまったということ、
②シリア語は、メソポタミア地方一帯のキリスト教の共通言語であり、ネストリウス派だけでなく、のちにシリア正教会(ヤコブ派、非カルケドン派のひとつ)といわれるようになる教会でも使われたということ
がわかった。
またネストリウス派がペルシア方面と関係が深いことが改めてわかった。
追記…上述の高橋英海先生の記述(「ユーラシアの知の伝達におけるシリア語の役割」『知の継承と展開』明治書院、H26年、p、39)によれば、従来の「ネストリオス派」という名称は蔑称としてもちいられた経緯があるため、使用を避けるのが近年の学会での合意となっているらしい。そこで高橋先生は中立的な名称として「東シリア教会」を用いられるとの由。同様の理由で、従来「ヤコブ派」と呼ばれた集団は「シリア正教会」とするとの由。
このブログは一般向けゆえ、耳慣れたネストリウス派という言葉を使うが、当然ながら、ここに蔑称の気持ちは全くない。